ファニーホースの未勝利戦での代打騎乗で初登場し、やる夫陣営に初勝利をもたらした騎手。
鞍上変更でファニーの主戦を担当して以来、90年代後半に引退するまでやる夫陣営の多くの主戦を務めた。
ファニーホースを覚醒させ3年かけて彼女の信頼を勝ち取り、
ガルチを3歳時に米国年度代表馬に導き、ピークを過ぎたウィンディブロウンで凱旋門賞を制覇し、
その他にも「田原に任せればなんとかなる」という>>1と読者の期待に答え続け神の領域に達したジョッキーの一人。
80年代の競馬は大体彼の手で動いていた。
史実での問題児性質は鳴りを潜め、周りと馬に振り回されて顔を悪するのが日常になっている。
彼の手によって、F一族は繁栄することができたといっても過言ではない。
というかファニー及びファニーの子供達に振りまわされ続けてきた騎手人生だったのかもしれない。
そもそもダイスによる歴史変更の結果、彼の初G1勝利自体ファニーのヴィクトリアマイルになっている。
多くの栄光を掴んだ彼でも唯一取る事が叶わなかったのが神の頂点。相棒であるファニー、ファニーの長女ファンキーでも一歩及ばなかった。
馬の言うことを聞くことができ、やる気を保って勝ちへいざなうことができる、まさに「騎手」と呼ぶにふさわしい人物。
1990年の落馬による怪我の後遺症と減量苦で乗鞍を減らしたが、それでも乗るときのテクニックはトップクラス。
95年にはマヤノトップガンでクラシック三冠を制し、「神の騎手」健在を大きく印象づけた。
騎手最後の年となった97年にも、マヤノトップガンで春天に、バスターフォースでJBCスプリントに、
テン乗りのイディオムで大阪杯に、同じくテン乗りのホワイトリリーでエリザベス女王杯に勝利する。
彼の現役最後のレースとなったのはドリームレース・ターフ。ファニーホースに乗って3着に敗れた後目覚めた彼は、
警察への薬物使用の自首という形で20年に及ぶ騎手生活に自ら幕を下ろす。
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後にサイレンススズカが予後不良になり落ち込んでいた武に会いに行き、
自らが乗った馬グレートタイタン号の事を語り、武豊復活の切っ掛けを与えている。
自身の伝えたかったことと豊の感じたことが少々すれ違っているが。
00年末のドリームレース・マイルではファニーに呼ばれてまさかの再登場、ファニーを勝利に導く。
その後のドリームレースでは解説に座り、伸び悩む岡に騎手のあり方について語るなど指導を行っている。
ちなみに体力の衰えがかなり来ており、乗るにしても1戦、それもマイル以下が限界のようである。引退して3年も経てば当然ではあるが。