史実では現代日本競馬に大きな影響力を持つノーザンファームの代表。
…だったのだが、このスレでは1996年4月に兄吉田照哉との政争に敗れ、かつてやる夫のフランス牧場で1年間牧場長をしていた弟吉田晴哉の紹介の元やる夫のところへ家族ともども転がり込むことに。
社台からのスパイを心配したほむらによってその場でアメリカ牧場への出向を言い渡されたが、その後のダイスで白が確定している。
ちなみにお土産としてピッパーピッパーという繁殖牝馬を連れて来ているが、この馬に1999年にSalt Lakeをつけることで史実フェアリーステークス2着のソルティビッドが、その馬にさらに2006年にキングカメハメハをつけることで史実三冠牝馬アパパネが、おまけに2017年にディープインパクトをつけることで史実秋華賞馬アカイトリノムスメが産まれる。
さすがにノーザンファームを手土産にはしなかった…が後々傘下に入った
なお彼を放出し、晴哉も押し込めた照哉指揮下の社台グループは、勝己がいないことによるノーザン系の弱体化や人材不足に加え、
早田光一郎が驚きの白さ状態故に(ブライアンズタイム以外にも有力種牡馬ミスティックがいるのでそもそも経済的に詰む可能性が無い)天栄ホースパークが社台に行きそうにないこともあって、後々詰むのではないかとイッチやスレ住民から心配されていた。
そして2001年、ついに兄照哉の精神が限界に達し、兄の療養期間中に弟晴哉と共に社台を回す目的で彼も再び社台に派遣されることとなる。社台グループが事実上やる夫陣営の旗下に入った瞬間であった。ただし、やる夫陣営の余りの急拡大に対応できる人材が枯渇してしまい、やる夫陣営の牧場の牧夫の確保すら困難な状況になってしまうのだが…