98年世代牡馬の最強
しかしステゴのお株を奪うように見事に善戦マンと化している
皐月賞では勝ちをほぼ手中に収めながらミッションウオッチの急襲に屈し、ダービーは調整ミスで戦う前から負けていた
地獄のペースとなった秋天で2着、ジャパンカップで3着となった後に蛯名が自ら降板
有馬記念では四位に乗り替わり、高く飛翔するが、はるか前を行くミッションの影を踏む事は叶わなかった
絶不調のダービーを除くと、98年に負けた馬はミッションウオッチ、サイレンススズカ、フィージブルホース、エキセタム、グリーンウェーブ
99年になるとどの馬も日本を去ったので、俺より強い馬に会いに行くということで海外に挑戦して2着を重ねる
凱旋門賞ではヒポグリフ、モンジュー、ミッションウオッチに及ばず、銀にも銅にも手が届かなかった
香港カップでは前を塞ぐ♂と♀に突っ込んで体当たり。圧倒的な力で進路をこじ開け、無事降着になる
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彼は良い馬であったが、彼の生まれた時代が悪すぎた
文句なしに98年世代被害者の会会長である
主な勝ち鞍500万条件のまま引退。4.5億でやる夫の牧場に引き取られ、種牡馬となる
共同通信杯 2着(的場)
皐月賞 2着(的場)
ダービー 16着(的場)(絶不調)
毎日王冠 3着(蛯名)
天皇賞秋 2着(蛯名)
ジャパンカップ 3着(蛯名)
有馬記念 3着(四位)
イスパーン賞 2着(岡部)
サンクルー大賞 2着(岡部)
凱旋門賞 4着
香港C 降着(蛯名)